如月刹那の徒然

躁鬱病な私が書く日々の雑記や月ごとの日記みたいなものをのせるブログ

最近考えること

私が常々考えていること。

私にとっての生きること=私という個の確立と自由意志、個人の空間とそれなりの娯楽と資金での生活 と考えている。

母にとっては私が身近に存在し、生命活動をし、最低限受け答えをすることのできる意思があること=生きていることだと考えてる・・・と思う。

親子でさえ生きることに対して違いがあるのに、それがほかに5人もいると考えるだけで

私はその場にいたくなくなる。

私の”理想”は思考をせず、1日の多くを眠ることにある。

寝るということは一番死の状態に近いと考えるからだ。

私は死にたいか?と言われれば迷いなく死にたいと答えるだろう。

しかし私が死ぬことを母は望まない。

そして、私が死ぬことで迷惑をかける人物が多いことも私が死ぬことを躊躇させる理由である。

他人を理由にしていると言われればそれまでだが、私にとって他人に迷惑をかけるかどうかというのはとても大きな問題である。というかそれのせいで死んでも死にきれない気がする。

 前に進んでいない自分を見るのが嫌いだし、親に心配や迷惑をかけている自分が嫌いだ。

私はどうすればいいのか?2年たった今でも答えは見えない。

私は自分が大事だと感じているが、それと同じくらいに他人の目が気になる。

前進しなければいけないというプレッシャー。いつか来る金銭面の終わり、親や家族の死。そして自分自身の死。

こうやって書いている今でもまとまりはないし、自分がどうしたいのかもはっきりしない。

今一番したいことは多くの時間を寝て過ごし、好きな時間に起きて食事をし娯楽を享受し、そして極力思考をしない。

それが今の私がするべき一番の精神療養のはず・・・なのだが・・・

それができないのが現状でもある。

起きている間はゲームという名の作業をしなければ思考が暴走し、こういう文章を書く。そして施行する。

私は何をどうしたいのかをはっきり決めることができないし、決めたことがぐちゃぐちゃになり最終的には見失う。

そして脳の処理能力が限界になるとどんな状況であろうとも寝る。

私はこれから先、生きていけるのだろうか・・・